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 Kayocoエッセーのページ・・・絵だけでは伝えられないことを、徒然なるままに書いています。...

Essay Vol.2→11.ホピからの伝言 / 12.スペインの夏のスープ--ガスパチョの作り方

9.『わたしたちが世界を変える日』

2007年の新年早々、こんな記事を目にしました。

『オーストラリア、地球温暖化の進行速い=気象局(キャンベラ 3日 ロイター)』
オーストラリアは世界の他の地域と比べ、速いスピードで地球温暖化の影響をうけていることがわかった。豪気象局が3日発表した年次報告書で明らかにした。報告書は、もともと干ばつが多く乾燥した気候のオーストラリア大陸は、現在そうした独自の気候と戦争のような格闘を強いられている、と指摘。また国土の半分が水不足に苦しむ一方で、もう半分の地域には全土の年間降水量に匹敵する降雨があったとしている。......

大好きな国=オーストラリアのことなので少し調べてみると、自然破壊もずいぶん進んでいるようで、特に森林伐採においては、ヨーロッパ人の移住以来、オーストラリアの森林の半数と多雨林の75%が皆伐され、オールドグロス林の90%が伐採されてしまったとのこと。オールドグロス林とは日本でいうところの「原生林」とほぼ同じもので、樹齢200年から1,000年の樹林が大勢を占める、生態系として成熟した森林のことを言います。オーストラリアの森林には、多種多様な生物の半数以上(76%の植物、53%の陸上動物)が生息しています。

皆伐されたオールドグロス林を元の状態(例えば、同じくらい豊かな洞に生息する生物、枯れ木、倒木など)に戻すためは、1,500年から2,500年かかるそうです。破壊するのは簡単ですが、元に戻すのは不可能と言えるでしょう。

今こうしている間にも、毎年約20万ヘクタールの森林が伐採され続けています。これは、フットボール競技場の約10万個分に相当します。

では、そのオーストラリアの伐採された天然林はどうされるかというと、半分以上が木材のチップになっているのです。現在、600万トン以上の木材チップが、紙や段ボールを生産するために、毎年オーストラリアの天然林から日本へ輸出されており、大半は使い捨て!! 、にされています。【参考URL=紙と伐採〜オーストラリア

普段わたしたちが何気なく使っている、ティッシュペーパーや段ボール箱なんかに、もう元に戻すことはできない、貴重な天然林が使われているなんて。。。わたしたち日本人も、大いに関与しています。

かつて行った西オーストラリアの南西部の森林地帯の風景が心によみがえってきます。巨木が立ち並ぶ森の木立の細い道に迷い込んだことがありました。立てられていたプレートを見ると、そこには「100 years Forest」とあります。見たこともないようなカラフルな尾の長い鳥などが飛び交う、その場所の荘厳な雰囲気から、(100年以上の樹木が占めている森なんだ。)とわかりました。
そのような森が刻一刻と消えていっています。国立公園や保護地域とされている森林は、ほんのわずかです。

ただ一方、木材需要は、オールドグロス林を破壊することなく、植林でまかなうことができるともいわれています。すべてが破壊されつくす前に、せめてなんとかして、植林だけでまかなって欲しいものです。

オーストラリアだけでなく、アメリカやヨーロッパなどでも、記録的な暖冬の様子が伝えられています。
まるで散々不摂生をして、身体を痛めつけた上で、病気になったと騒ぎたてているかの様です。
地球は、どんなに暖冬になろうと、寒冷になろうと、生き続けるでしょう。
「地球にやさしく」と言われていますが、地球という星はきっと大丈夫です。
では、生き続けられないのは...!?

ここで、1992年のブラジルのリオで開かれた国連の地球環境サミットで、カナダ人の12歳の少女が世界各国のリーダーたちを前に行った伝説のスピーチの一部をご紹介します。

「今日の私の話には、ウラもオモテもありません。なぜって、私が環境運動をしているのは、私自身の未来のため。自分の未来を失うことは、選挙で負けたり、株で損したりするのとは、わけがちがうんですから。」

「こんな大変なことが、ものすごい勢いで起っているのに、私たち人間ときたら、まるでまだまだ余裕があるようなのんきな顔をしています。まだ子どもの私には、この危機を救うのに何をしたらいいのかはっきりわかりません。でも、あなた方大人にも知ってほしいんです。あなたがたも良い解決法なんてもっていないっていうことを。オゾン層に開いた穴をどうやってふさぐのか、あなたは知らないでしょう。死んだ川にどうやってサケを呼び戻すのか、あなたは知らないでしょう。絶滅した動物をどうやって生き返らせるのか、あなたは知らないでしょう。そして、今や砂漠となってしまった場所にどうやって森をよみがえらせるのか、あなたは知らないでしょう。............どうやって直すのかわからないものを、こわしつづけるのは、もうやめてください。

「もし戦争のために使われているお金をぜんぶ、貧しさと環境問題を解決するために使えば、この地球はすばらしい星になるでしょう。私はまだ子どもだけれど、このことを知っています。」

「あなたがた大人がやっていることのせいで、私たちは泣いています。あなたがた(大人)はいつも私たち(子ども)を愛しているといいます。...もしその言葉が本当なら、どうか、本当だということを行動でしめしてください。」

(『あなたが世界を変える日-12歳の少女が環境サミットで語った伝説のスピーチ』 セヴァン・カリス=スズキ著 より)

今、わたしたちに何ができるのでしょうか? あきらめないで、まず、自分で考え、自分で決めて、行動しましょう。

あふれる情報をそのままに、まるごとすべて信じることなく、本当は何が起こっているのか、自分で感じてみましょう。

自分の感覚を信じましょう。

そして、自分が出来ることから始めてみましょう。

毎日毎瞬の積み重ねで、今この世界があるのですから!!

8.あなたの「毎日毎秒」が、素晴らしいものでありますように!!

ある85才の女性がつくった、一つの詩をご紹介します。。。

◆人生をやり直せるならわたしはもっと失敗をしてもっと馬鹿げたことをしよう(ナディーン・ステア作)◆ 
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人生をもう一度やり直すとしたら、今度はもっとたくさん失敗したい。

そして肩の力を抜いて生きる。

もっと柔軟になる。

今度の旅よりももっとおかしなことをたくさんする。

あまり深刻にならない。

もっとリスクをおかす。

もっと山に登ってもっと川で泳ぐ。

アイスクリームを食べる量は増やし、豆類の摂取量は減らす。

問題は増えるかもしれないが、想像上の問題は減るだろう。

と、いうのも、私は毎日常に良識ある人生をまともに生きてきた人間だからだ。

もちろん、ばかげたことも少しはやった。

もし、生まれ変ることがあったら、ばかげたことをもっとたくさんやりたい。

何年も先のことを考えて生きる代わりに、その瞬間だけにいきたい。

私はどこに行くにもいつも万全の準備を整えて出かけるのが常だった。

体温計や湯たんぽ、うがい薬と、レインコートと、落下傘なしにはどこにもいけなかったものだ。

人生をやり直せるなら、今度はもっと身軽な旅行をしたい。

もう一度最初から人生をやり直せるなら、春はもっと早くから裸足になり、秋にはもっと遅くまで裸足でいよう。

もっとたくさんダンスに出かける。もっとたくさんのメリーゴーランドに乗る。

もっとたくさんのデイジーを摘んで、もっとたくさんの夕日を見て、もっとたくさんの子供たちと真剣に遊ぶ。

それぞれの瞬間をもっともっとイキイキと生きる。

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「人生をやり直せるならわたしはもっと失敗をしてもっと馬鹿げたことをしよう」 ラム・ダス/著・ヴォイス社より
                    
7.Yes, Peace and Love

初めてニューヨークを訪れたのは1998年のこと。あの9.11の事件の前のことでした。NY在住の友人が、着いてすぐ案内してくれたのが、今は無きツインタワービルだったのです。

エントランスから入るとすぐ、テロ対策のために、手荷物チェックを受けました。それからエレベーターで展望室に上ると、日本でもよくあるような観光客向けのフロアーがあり、ガラス張りの室内からマンハッタンの風景が見渡せる様になっていて、コインをいれて望遠鏡を覗くと、遥か遠くの光景まで眺めることができました。飲食コーナーもあり、アメリカンピザを片手にコーラを飲みながら、「ここはNYなんだ....!」と実感したのを覚えています。

その数日後、せっかく来たのだからと噴発してヘリコプターに乗って、夕方にマンハッタンの上空飛行を楽しみました。自由の女神やエンパイアーステイトビル、クライスラービルなどの建物が、夕日を反射しキラキラと輝いていました。そしてオレンジ色に染まるマンハッタンのにょきにょき伸びるビル群のなかで、やはり目をひいたのはツインタワービルでした。数年後、まさか飛行機があのビルに突撃しようとは、夢にも思えませんでした。そして、あの出来事から世界の何かが変わり、「テロとの戦い」が始まったのです。

90年代初めのパパ・ブッシュ大統領の時も、湾岸戦争が始まりました。テレビで空爆の様子が写し出される中、画像を何回も見ているうちに、それはあたかも映画のように思え、いつしかリアリティーを感じなくなってしまっていました。あの爆弾の下に人がいることを「想像」できなくなっていったのです。そんな中、ある友人が「何かしなくては。」と、自分の旧型ワーゲンビートルにカッティングシートで「Yes, Peace and Love」の文字を張り付け、ジョン・レノンの「イマジン」の音楽を繰り返し流しながら、原宿などの街中を車で走り回り始めました。。。ささやかな平和運動でしたが、その後まもなく、その湾岸戦争は終わりました。しかし、今はまた、別の戦争が続いています。


「Imagine」-想像すること。ジョン・レノンのシンプルなメロディーとメッセージが心に染みます。稚拙で すが、訳してみました。自分の生きている時代のことだけでなく、子供や孫やそのまた次の世代のことも想像して、今を選択していきたいものです。


【Imagine.........by John Lennon】

想像 してごらん 天国 なんてないってことを 

やってみると簡単なことだよね 下に 地獄 なんてものもない

わたしたちの上にあるのは 空 だけ 

想像 してみよう すべての人々が

今日のために 生きているってことを

想像 してごらん 国 なんてないってことを 

難しいことじゃないよね 

そのために 殺したり死んだり することもなく 

宗教 もないってこと 

想像 してみよう 

すべての人々が 平和 に 人生を生きていることを

想像 してごらん 何も所有しないってことを きみにできるかな?  どん欲や飢えは必要ない 人の友愛があればいい 

想像 してみよう すべての人々が 世界を全部 分かち合っているってことを

きみは わたしが夢想家だって 言うかもしれないけど だけど わたしひとりだけではないはずさ

いつかきみが 仲間に加わってくれればいいな そうすれば 世界 はきっとひとつになる
                                                      

6.シークレット・メッセージ

真夜中に目が覚めて、テントの外に出てみると、その明るさに驚きました。

そこは電気が通っていない場所でした。
だから、人工的な照明などなく、しかも、その夜はちょうど新月で、月あかりもありません。
でも、「星」明かりだけで十分でした。
何千、何万、いえ、それ以上もの星々が、天上にきらめき、頭上を流れる「天の川」となって、降り注いでいました。こんなにも星があるとは思えないほど、膨大な数の星々が、またたいていました。

そして、サザンオーシャン(南極海)の波が砕け、そのとどろきがグワーングワーンとこだまする中、星の光だけがしんしんと、辺りの木々や大地を照らし出し、浮かびあがらせていたのです。

西オーストラリアの南の端、エスペランスにあるケープ・ル・グラン国立公園で、キャンプをした時の話です。

オーストラリアに美しいビーチは数あれど、その中でも、ここのビーチは極めつけです。オーストラリア通の写真家が、私が美しいと思っていた海のことなど「その比ではない!」と、断言するほどのことはありました。

南の国や島の暖かい海とは違い、海を隔てればもう南極という土地のせいか、海は目もさめるような清涼感あふれる透明なクールミントの色をしています。初めてその海を目にした時には、期待以上の素晴らしさに、思わず感嘆の声を上げてしまったほどでした。
サファイアのようなブルーから、涼やかで鮮やかなミントブルーへと変化するグラデーションの海が、波打ち際でかき消され、湧き水のように透明な水は、真っ白な砂浜と出会います。その、ひと気のないビーチは、ゴミひとつ落ちてなく、不純物がほとんどない「鳴き砂」で、歩く度に砂がきしんで、足元で話すように音を立てるのです。

たくさんの自然が開拓され、破壊され続けているなか、まるで何百年も手付かずのまま真空パックされ保存されたかのような、こんなにも畏敬の念を感じさせてくれる、"自然のまま"の美しい場所が、まだあるのです。

人を寄せつけないような、そんな超然とした自然に囲まれたラッキー・ベイの近くに、キャンプ地はあります。水道と太陽熱によるホットシャワーの設備は整っていますが、電気は通っていません。
ブッシュを切り開いただけの赤土のキャンプ・スペースには、カンガルーや大トカゲ、色とりどりの鳥たちといった野生動物が、しばしば現われます。そこでは、彼らの縄張りを、人はちょっと借りているだけなのです。

サンサンと照っていた太陽が沈むと、あとは星たちの出番です。電気もなく、公害もない夜空には、無数の星々がひしめいています。大昔の人々が星に思いを馳せ、星々の物語をつむいだり、生きることと星の関係を結び付けて、占星術を見出せたのも、こんなにロマンティックで豊かな夜空を、長い夜に眺めていたからなのでしょう。

夜空のもと、【星の光】と【海の音】だけが在るなかでは、ただただ自然に包まれて、自分がその一部であることを感じ、次第にそれさえも忘れ、地球の生命にとけだしてひとつになってしまう感覚を、覚えずにはいられません。

日々の生活の中で忘れていて、いつもあるけれど見えないものってな〜んだ?。
「大切なものは目に見えないんだよ。」星の王子さまのセリフにあるように、
答えはそれぞれの人の、おのおのの、心の奥にあることでしょう。
星のまたたきは、メッセンジャーとなって、秘密のメッセージを届けてくれているのかもしれません。.......心を研ぎすまして、聞いてみましょう。

「星は いつでも みんなの 頭上に たくさん 輝いて いる」のですから。。。

                                

5.お魚天国

初めてシュノーケリングをした時、水中の美しさに驚かされました。同じ地球の上でも、海の中に広がっている世界は、陸上の「世の中」とは、全然違うものでした。その世界が観たくて、私はダイビングとはいかないまでも、何度もシュノーケリングを楽しんでいます。

その海に入ると、たくさんの色とりどりの魚たちが乱舞し、たわむれていました。透明度が高い海では、その姿がはっきり見えます。人が近づいても、たいして逃げようともしません。あまりにもたくさんの熱帯魚に出会える、まさに、そこはお魚天国です。

メキシコのユカタン半島の先端にあるリゾート地・カンクンの沖から、フェリーに乗って、目にも鮮やかな透明な水色=サイダー・ブルーの海を渡っていくと、小さな島「イスラ・ムヘーレス」に着きました。

「イスラ・ムヘーレス」とは、「女たちの島」という意味で、その昔、マヤ文明の時代に豊作と月の女神イシュチュルが祭られており、1517年にスペイン人たちが上陸した時、たくさんのマヤの女神像を見つけたのがその名の由来だそうです。その後、カリブ海が海賊の舞台となった頃、この島も海賊たちのアジトとして使われていました。今ではリゾートアイランドとして知られていますが、まだ未開発な自然が多く残されていて、カリブ海に残された地上の楽園を感じさせてくれます。ダウンタウンはトロピカルな色使いの街並みで、メキシカン・カリブの雰囲気をのんびり味わうことができます。

島の南側には、シュノーケリングが素晴らしいガラフォン国立公園(Parque Nacional El Garrafon)があります。ガラフォンの園内には東西に数kmの海岸が広がっており、主に岩場となっているために、珊瑚保護エリアと遊泳可能エリアに分けられています。そして遊泳可能エリアでは、シュノーケリングが楽しめるようになっているのです。とにかく、たくさんの熱帯魚がいます。1日中まるで魚になった気分で、熱帯魚とたわむれることが出来ます。

魚たちの世界から戻って、椰子の木につられているハンモックに寝そべりながら、園内で演奏されるマリアッチを聞いていると、まだ水中にいるように、ユラユラと漂っているようでした。

この島にはその他にも、サメと一緒に泳げるビーチ、時期によってはウミガメの産卵を見ることが出来るウミガメ飼育施設トルトゥガス公園などがあり、また、人気のあるスウィム・ウィズ・ドルフィンも体験できます。

私たちは、陸上生物なので、地上での生活にとらわれていますが、地球は地上の世界だけではありません。海中の世界も同時に存在しているのです。さらに、陸と海の割合は、3:7なので、海の方が大きいのです。海は私たちにたくさんのものを惜しみなく与えてくれています。そして、世界を違った視点でとらえることも教えてくれるのです。
そんな海の神秘に触れ、海の世界に敬意を払いたいと思っています。

海中はまるで異次元スポットのようです。 海の中で生きられたら、どんなことになるのでしょうね。考えただけでも、ちょっとワクワクします。

                             

4. 音の記憶

ふとした時に聞こえてくる音楽によって、しばらく感じることのなかった、記憶や情景をよみがえらせられることはありませんか?

それは、ごきげんなドライビング・ミュージックかもしれませんし、テレビやラジオや街中で、何気なく流れている音かもしれません。
でも、あなたにとっては、特別な音楽なのです。

私は、旅をしているとき、音楽を聞くようにしています。
それはその場所で聴こうと思ってあらかじめ用意したものでもありますし、行った土地で気ままに手に入れた音楽でもあります。
特にドライブ中は、その風景にあった、ドライビング・ミュージックを流します。それは、後で絵を描く時に役立つからです。

例えば、作品タイトルの意味をしばしば尋ねられる「TEMBA」という絵があります。私は ドライビング・ミュージックとして、オーストラリアのとある海辺でたまたま入手した、Hennie Bekkerのアルバム『-African Tapestries-TEMBA』という音楽を気に入って、繰り返し聞きながら、旅をしていました。 http://henniebekker.com/Music/Temba.html

オーストラリア大陸の広大な風景にもマッチしたその音楽は、アフリカンミュージックをベースにしたものでした。アフリカを思わせる、動物たちの鳴き声や効果音などが入ったそのサウンドは、アフリカの動物たちと豊かな大自然のイメージを、もたらしてくれました。
旅の途中で、何度も聞いた音楽は、後になって、その音とともに、記憶や情景やその時の感情までをも、鮮やかによみがえらせてくれます。
この絵を制作するときに、『TEMBA』のサウンドを聞くことで、旅の途中で感じたイメージを再現し、描くことができたのです。 そこで、タイトルも『TEMBA』と付けました。

作品のほとんどは、自分の体験を元に、こうした過程を経て生まれています。
たくさんの音楽がインスピレーションを与えてくれています。ある時、アメリカ人の某ミュージシャンに、「絵を観ていたら、音楽が聞こえてきた。」と、嬉しい言葉をかけていただきました。もしかしたら、制作時に共に過ごした音も、イメージに埋め込まれているということがあるのかもしれませんね。

音の他にも、味や香りや色といった感覚的なものは、「こころ」で感じることをとても助けてくれます。
頭で考えても何も浮かんでこないときには、感覚をフル動員して、イメージします。
音の好みは人それぞれなので、自分以外の誰かに好みを合わせる必要はないでしょう。
心配事や悩みは脇へ追いやって、何も考えずに、自分が心地よいと感じる音楽を聴いていたりすると、気持ちが落ち着いて、不思議と忘れていたことや様々な感情、そして過去のもののみならず、未来のイメージまでもが、次々と沸き上がってきます。

誰でもそうですが、私たちは自分で思い込んでいるよりも、もっともっとたくさんの体験を重ねてきており、覚えていなくても、膨大な記憶を持ち、ただ自分で制限してしまっているだけで、実は無限ともいえる選択肢をもっている、「存在」なのかもしれません。
そんな本質的なデータベースにアクセスできる方法のひとつとして、音楽を感じてみてはいかがでしょうか?                                                                 

3. 「自由」という名の島

ピンク色のビーチというのは、本当です。

カリブ海に浮かぶバハマの島々のひとつ、エルーセラ島の1部であるハーバー・アイランドに、その場所はありました。

エルーセラとはギリシャ語で「自由」を意味しています。この島には、宗教の自由を求めるエルーセリアン・アドヴェンチャーと呼ばれるイギリス人や、アメリカ人、そして、アフリカから奴隷として連れてこられた黒人たちも、自由を求めてやってきました。「自由」と名付けられたその島は、バハマ諸島で最初の黒人の新天地としても知られています。

そのエルーセラ島からウォーター・タクシーで10分ほどのところに、小さな島、ハーバー・アイランドがあります。
小ぢんまりした静かな街には、パステルカラーの白、ピンク、ブルー、黄色などのペンキを塗ったイギリス様式の家が建ち並び、やさしくて、のんびりした雰囲気がただよっています。コンビニなどではなく、かつて日本のどこにでもあった缶詰めやフルーツなど何でも売っている小さな商店や、カタカタと音をたててプロペラ扇風機が回っているパン屋さんなどがあり、どこか懐かしい気持ちになります。コインランドリーの店先では、コンク貝の身を貝から引き出して調理している若者がいて、そのそばでカセットテープが、ゆったりしたゴスペルソングを流していました。日曜日ともなれば、お店はどこも閉まってしまい、人々は教会で「ハイアー、ハイアー」と両手を上げ、ゴスペルの大合唱をしています。

そして島の東側には、ピンク色のビーチ。

なぜピンクなのかというと、赤いサンゴの破片が波に乗って運ばれ、長い年月をかけて砂と混ざり合ったからなのです。
パウダーピンクの砂浜に、ターコイズブルーのグラデーションの海。そして空は、砂浜の色のせいか、パープルがかって見えます。

ピンク色は、愛情やロマンスと結び付けられる色であり、自分自身と他の人の両方を大切にする気持ちを育む、優しい愛の色なので、暖かく包み込まれるようなエネルギーを感じます。

そんなビーチでリラックスしていると、目の前を、子供たちが列になって思い思いに通りすぎていきました。
天然のフィルターがかかった、まるで映画のワンシーンのようです。

そのとき、ビーチの彼方からやってくるものがありました。
それは、馬でした。白い馬が走ってきます。
背には、1人の若者が乗っています。白馬はピンクの砂浜から波打ち際へと走り寄り、海へ入って水浴びを楽しんでから、クルリときびすを返し、視界の彼方へと去ってしまった.......かと思いきや、再びこちらへ向かって走って戻って来ました。幻のように見えた馬はもう目の前に。。。白馬にのったドレッドヘアーの王子さまは近くまでくると、ニコリと笑い、ピースサインをして、「Enjoy!?」と一言だけ残し、また、波打ち際を走り去っていきました。
その白馬は、それからしばしば、滞在していたコテージの近くの林や、ビーチや、道などに現われては消えていきました。

そんな島で夜中に外に出てみれば、満天の星空の下、生ぬるい風でヤシの木がさざめくとともに、あたりではホタルが青白い光を放って飛びかっていました。
すると、近くのナイトクラブから生演奏のカリプソが聴こえてくるではありませんか。
ラテンやカリビアン・ミュージックが好きだった私は、その音楽とシチュエーションがあまりにマッチし、素晴らしかったので、とても現実とは思えないほどでした。

そして、「自由」を求めてやってきた遠い昔の人々に思いを馳せました........

「自由」というのは、他人や外からの制限=コントロールを受けないこと。自分の気持ちや心のままに従うこと。それは、何ひとつ保証がなくても、自分の内面・心の声を信じ、毎瞬毎瞬、自分で選択していくことだと、私は思っています。とても大きな"勇気"と自分への"信頼"をもって、自分の人生に、100%自分で責任を負うことなのです。

揺れる椰子の木や咲き乱れる色鮮やかな熱帯の花々、パステルトーンの家並み......。カリプソのリズムに乗って、すべては夢の中の出来事のようでした。「自由」と名付けられたバハマの小さな島は、パウダーピンクのやわらかな色に包まれて、昼も夜も目覚めながら夢を見ているかのように、「自由」を感じさせてくれたのでした。

                                                     

2. Over The Rainbow

ハワイのカウアイ島で、まだ人かげもない早朝に、私は散歩をしていました。

朝のさわやかな空気を吸い込み、美しい穏やかな海の水面に、ウミガメを見つけたりしながら過ごしていると、突然、水平線から大きな光の束が、ユラユラと立ちのぼってきたのです。

息を飲んで見守っていると、それは7色に光り輝き、グングン伸びていって、大きなアーチを描き、虹を完成させたのでした。

【色】と【光】の神秘を、目の当たりにした瞬間でした!!

オーストラリアの荒野を旅する中で、ザッーと短時間雨が降った後、日が射し込むときには、ダブル・レインボー(二重の虹)に遭遇することもたびたびありました。
なんとも荘厳で素晴らしい光景です。。。

心理学者であり、神秘体験を重ねて、世界的に活躍しているドリーン・バーチュー氏が著した一節に、次のことが記されていました。

『アトランティスの天使がレインボーエネルギーについて話してくれました。彼らはこう言っています。自然の光の束は、赤・オレンジ・黄色・グリーン・ブルー・インディゴ・紫といった虹の色で構成されています。私たちはそれらの色を、水滴や透明なクリスタルを通して、プリズムの中に見ることができます。

レインボーは微笑みと幸福に関係しています。なぜなら、人間の身体は、太陽光のレインボー・エネルギーを吸収し、同化するようデザインされているからです。私たちはそれぞれの中に、チャクラと呼ばれているレインボーを持っています。チャクラは、神聖な光と物理的な太陽光へと、自然に接続しています。十分に太陽光とレインボーを吸収すると、私たちは自ずと幸福とイキイキしたものを感じるのです。

しかし、空気が汚染され、人々がより多くの時間を室内で過ごし始めると、レインボーのエネルギーの吸収が少なくなりました。このことが人々を攻撃的にし、苦しみをもたらしたのです。「(太陽光に触れるために)屋外へ出る」-という単純な解決策を認めるかわりに、人々は人工的な意味をもつものを増大させることで、『幸福』を見つけようとしたのです・・・』

本当に、青空の下、太陽の光を浴びると、心地よいものです。

ここでほんの少しの間、色がなくなってしまった世界を想像してみて下さい。色のない世界の中では、植物は光合成をすることができず死に絶え、草食動物も生きることができず、そして肉食動物も滅んでしまうのです。食物連鎖の頂点にいる人類がどうなるかも・・・わかりますよね。

あまりにも当たり前に私たちを取り巻いている太陽光と色は、すべての命と密接に関わり合っているのです。色なくしては、人間の生命はあり得ないのです。                      

                                                   

  

 
1.いきなりの初個展、はじめての油絵

それは初めて個展を開いた時のこと。。。

その頃、原宿の裏通りにある「HBギャラリー」という、イラストレーションを主に扱うギャラリーで働いていました。
ギャラリーのオープン時は誰にも知られていないスペースだったので、来る人もなく、毎日閑古鳥が鳴いている有り様。
そこで、担当者として、そんなギャラリーをなんとか盛り上げていこうと、企画展を組んだりし、積極的に、様々な作家にどんどん声をかけていったのです。

そうこうしていくうちに、ギャラリーは、専門雑誌に取り上げられたり、人が人を呼んで、訪れる人も増え、知られるようになり、みるみるうちに輪が広がっていきました。
仕事が上手くいくにつれ、いつしか、それなりに充実した日々を過ごせるようになっていました。

そんなある日、社長であり、現在イラストレーターとして活躍中の唐仁原教久氏が、スタッフに宣言しました。
「スタッフは個展をする人の気持ちがわかるために、自ら個展をすること!!」。
そして、私の意志などお構いなしに、個展のスケジュールが組まれてしまったのです。

(いきなり、コ・テ・ン!?)どうしよう。。。
学生時代にイラストの仕事を若干したり、アクリル絵具で絵を描いたりしていたものの、美大を出たわけでもありません。
しかも、ギャラリーで展覧会をしていた人は、皆プロフェッショナルとして活動している人ばかりでした。
とまどいましたが、個展をせざるを得ない状況に変わりはなく、焦る気持ちばかりがつのり、精神的にどんどん追い込まれていきました。
期日がせまってきたある日、(どのような個展にしようか)と考えたあげく、ひらめいたのは『本物にしたい。せめて、画材だけでも・・・。そうだ、油絵にしよう!! 』、ということでした。
何かの本に書かれていた一節が、頭の中に繰り返し何度も浮かんできました。
【水彩は絵具を水で溶きます。油絵は絵具を油で溶けばいいのです・・・。】
さっそく、初心者向けの茶色い木の箱に入った油絵セットと、キャンバスを買ってきて、生まれてはじめて油絵を描きはじめました。
そうして、限られた時間の中で、試行錯誤しながらも、ようやく数点の絵が仕上がりました。

艶やかで、乾きが遅く、重ね塗りが出来き、独特の気品を感じさせる油絵具は、意外にも、自分のフィーリングを表現するのに相性が良いようで、私はすっかり惚れ込んでしまいました。
とにかく、この出来事により、私は油絵具と出会い、長い年月に渡り、油絵を描くようになったのです。

その初めての個展は、ギャラリーでお世話をさせていただいた作家の方々をはじめ、多くの人が身に来て下さって、思いのほか、盛況でした。
テーマも作風もまとまりがなく、作品に自信がなかった私は、恥ずかしいという思いと、ちょっとだけ晴れやかな気持ちが、交差していました。
さまざまな面で、個展を開く人の大変さが身に染みてわかりました。
けれど、一方で、それを上回る『表現をする喜び』も感じていました。

個展の開催中、大学のゼミでお世話になったK教授が来て下さり、数日後に「絵を気に入ったから購入したい。」と仰って、売れることなど想定していなかった作品に、ご自分で値段をつけて購入して下さいました。
その絵は、はじめて描いた油彩の中でも、一番最初に出来上がった、感慨深い作品でした。
K教授は、お会いする度に「重からず、軽からず、あの絵はとても良い。」と、いつも何度も言って下さり、大学の研究室に飾って下さいました。
また、他に作品がもう1点、今では某雑誌の編集長をしておられるT氏が、「気持ちが和むから、部屋に飾りたい。」と、購入して下さいました。
結局、はじめての個展で2点の作品が売れたのです。

思ってもみなかった出来事でした。
そして、これらのことが、自信がなかった私を励まし、何か気持ちがゆらぐたびに、今でも、遠くから照らす灯台のように、勇気づけてくれているのです。